関牧場

基本情報
- 代表者
- 関 泰吉
- 牛舎
- フリーストール牛舎(ロボット搾乳)
- 頭数
- 搾乳牛100頭、育成牛他60頭
- 牧場所在
- 江別市

ロボット搾乳の導入で、人も牛も負担軽減
高品質乳産出の秘訣を後継者に伝授中
札幌に隣接する江別市で、労働力の限られた家族経営ながら160頭あまりの大きな規模で運営されているのが関牧場。開拓時期が早かったというこのエリアで、大正11年から5代続く農家としての長い歴史を誇ります。本格的に酪農を始めたのは戦後から。将来を見据えた先代が、稲作中心から転換を図ったといいます。
牧場移転を機に、時代に先駆けた新形態にチャレンジ
4代目となる泰吉さんが先代から事業を受け継いだ頃、総頭数50~60頭を繋ぎ牛舎で運営していました。当時から担い手は家族が中心。限られた労働力でまかなえる飼育規模に限界を感じていた泰吉さんですが、区画整理のための移転を機に、それまでの運営方式から大きな転換を図ろうと模索していました。
注目したのは、それまでの繋ぎ方式ではなく、規模拡大が可能な放し飼い方式の牛舎。さらに、日本でもまだ導入事例の少なかったロボットを導入して、搾乳を効率化させようとも考えたのです。 参考にしたのは、勉強会や視察などを通じて寄せられる同業の仲間からのさまざまな意見やアドバイス。将来の酪農業を見据えてさまざまなチャレンジを試みる志のある仲間に囲まれていた影響は大きく、「多大な刺激を受けて挑戦することに決めた」(泰吉さん)と一大決心をしました。 最大の課題は導入資金。搾乳ロボットだけでも数千万円規模の投資が必要となりましたが、新しい形態の牧場運営を実現したいという熱い想いに加え、将来の後継者のためにと導入を決意したのです。


想定外の課題も乗り越え、高品質乳の生産に道筋
搾乳ロボットは、それまで朝晩、人の手で搾っていた作業を機械が全自動で行う優れもの。しかも、牛のペースにあわせて24時間、いつでも搾乳が可能となりました。当然、大きな省力化につながり、その分、飼育の環境整備や自給飼料の生産に注力できると泰吉さんは大きな期待を抱いていました。
ところが、最新鋭の設備を導入した一方、それまでとは大きく異なる勝手に人も牛も惑わされ、たびたび対策に追われたといいます。 まず、繋がれての生活が長く、動くことに慣れていない牛が体に変調をきたしたのです。それまでの生活とは一転、エサを食べるのもミルクを搾るのにも牛が自ら歩く必要が出たのですが、新たな環境に適応できなかった牛が病気やケガに倒れました。 また、生産量や品質を細かくデータで管理できるようになったため、従来に増して品質には絶対の自信をもてるようになった反面、機械任せにしていたことで手痛い失敗も。毎日、自らの手による搾乳を通じてそれぞれの牛の細かな変化にも気づいてきたのですが、牛の変調を見逃してしまったことがありました。苦労の多かった当時を振り返り、「安定するまで4、5年、いや10年はかかったかな」と泰吉さんは遠くに目をやります。 ただ、そうした想定外のトラブルを乗り越えるにつれ、余裕のできた時間で牛の細かな変化や動きをつぶさに観察する時間をたっぷりととるようにしたほか、優れたデータ管理を加味することで安定的に高品質なミルクの増産を可能としてきました。 そうした苦労の時代を乗り越えられたのは、何よりも仲間の助け、関係会社からの手厚いバックアップがあったからこそと泰吉さんは振り返ります。


時代の環境変化に対応できる柔軟な発想と努力の積み重ね
こうした経営努力を重ねる泰吉さんに7年前、心強い仲間が加わりました。息子の友樹さんが5代目として牧場運営に合流したのです。 ゼロからのスタートで日々奮闘する父の背中を眺めて育ってきた友樹さん。いつしか生産者としての夢や醍醐味、志を高く持つことの大切さ感じ取ってきたのでしょうか。同年代の仲間と共に、勉強会や研究会活動に熱心に取り組んでおり、「安定した現状を維持しつつも、新たな交配システムを利用した牛の改良にも着手したい」と意欲満々です。 一方で、これまで作業のサポートとして頼りにしていた大学生のアルバイトが減少傾向にあり、担い手不足が深刻化しています。さらに、天候もこれまでとは異なった変化を示すことがあり、牧草生産にも注意を払う必要が増えたといいます。そうした経営環境の変化に応じ、柔軟に対応できる発想力、実行力が、これまで以上に求められるようになってきたと泰吉さんは感じています。 「我々は何十年も酪農を続けてきましたが、何年経っても、いまだに毎年ゼロからスタートしているような気持ちだよ」と泰吉さんは屈託なく笑いますが、改良、改善を積み重ねる日々の取り組みこそが、高品質乳産出の秘訣であることは間違いないようです。

